インタビュー&コラム
『ダイナミックに挑み、一つひとつの経験を大切に積み上げたキャリア』 CFOインタビュー
SEO対策、Web広告、Webサイト制作等のWebマーケティング事業と、営業支援ツール「ネクストSFA」等を活用したクラウドセールステック事業を展開して、Web上における集客から受注までの全てのプロセスを一社完結で支援し、DX推進にも貢献する株式会社ジオコード。2005年の創業以来、業績を順調に伸ばしてきた同社は、2020年、東証JASDAQ市場に上場を果たした。今回は「社会の規範となる、唯一無二の魅力的な会社を創る」という企業理念を掲げるジオコードで、CFOを務める吉田知史氏に会社や仕事内容などについて話を伺った。
会計士2次試験で思わぬ苦戦
-まずは吉田さんの経歴を教えていただけますか?
出身は埼玉県の川口市です。川口は鋳物の街として有名で、実家はここで祖父の代から鋳物工場を営んでいました。私は長男でしたので、将来は三代目として家業を継ぐのが当たり前だと考えて、大学は工学部で材料系のある京都大学工学部工業化学科に進学しました。しかし最終的には材料系ではなく量子化学を専攻していました。
-量子化学ですか!?今のご職業とはまったく縁が無いように思えますが…
一般的にはそうですよね。でも本人的には、物の見方や考え方として今でもとても役に立っているのですが(笑)大学四回生の頃でしょうか、実家の鋳物工場を私の代で継続・発展させていくことは、当時のビジネス環境などから判断して難しいのではないかと考え始めていたので、結局大学院には進んだのですが、当時学問的に興味のあった量子化学を専攻することにしました。
また鋳物産業に限らないですが、装置産業において利用される専門技術分野は、一度パラダイムシフトが起きてしまうと、途端に価値のないものになってしまう危険性を孕んでいると思うようにもなっていました。例えば、写真感光技術がそうかもしれませんが、写真や映画といった映像の世界でデジタル化が進展したことによって、フィルム産業は構造的な大変革を迫られ、それに対応できなかった世界的な大企業が倒産したりしていましたよね? 同じように、仮に実家を継がないにしても、化学系や材料系といった装置産業に就職して一つの細分化された専門技術分野だけを突き詰めてやっていたら、その産業が衰退したときに困るのではないかと考えました。
-そこから会計士を目指すことになるのですか?何かきっかけはあるのでしょうか?
たまたま大学生協の書籍コーナーで資格関係の本を手に取ったところ、中学・高校時代の陸上部でお世話になった先輩が、公認会計士2次試験に合格されて載っていたのです。いわゆる合格体験記ですね。身内の影響もあって会社経営というものに関しては漠然と興味をもっていたこともありますが、会計士は業種・業態を問わず汎用性のあるスキルだと直感し、自分も目指そうと思い立ちました。そして思い切って、大学院を休学して東京に戻り資格試験の勉強を始めました。
-量子化学からは大きな転換ですが、試験はスンナリと合格されましたか?
いえいえ、とんでもない!会計士の試験を舐めていました。文系の暗記の世界は違和感がありすぎて、全体がまったく見えず頭に入ってきませんでした。これまで公式などは暗記せずに、その場で原理原則から必要な式を導いて試験に臨むタイプだったので、いきなりポンと、さぁ覚えてくださいと言われても…資格試験の専門学校もまったく私に合いませんでした。
結局試験からは一度距離を置き、会計事務所系コンサルティングファーム(現 アビームコンサルティング株式会社)に就職し社会人“経験””ならぬ社会人“体験”をしてから再度試験に挑戦しました。苦労の末になんとか合格することができましたが、既に31歳になっていました。