インタビュー&コラム
INTERVIEW

「バックオフィス×○○を武器に。コストセンターではない働き方を創る」CFOインタビュー


『「都市」と「地方」の「働く」と「暮らす」をもっとオモシロクする』というミッションと、『「働く場」と「働き方」からいきいきとした組織と個人を増やす』というビジョンの元に、企業のオフィス移転や地方団体との取り組みなどを幅広く行っている株式会社ヒトカラメディア。今回は同社と運命的な出会いを果たしジョインされたCFO乙津康人氏にお話を伺いました。


いきなり経理部に配属。右も左も分からないなかで走った新卒時代

― 新卒で入られた会社では、経理部に配属されたのですよね。それまでに簿記などのご経験はあったのですか?

いえ、全然なかったんです。その上、当時は会計システムがまだ高価でその会社では導入していなかったので、手作業で振替伝票を書いて貸借対照表に転記するっていうことをしていました。それって貸借の意味が分からないとまず出来ないんですけど、未経験の私は本当に分からなくて。必死でやりましたけど、なぜ経理部に配属されたんだろう?とそれは今でも疑問ですね。

― 結果的に、そこがスタートで今につながっていると思うとおもしろいですね。その会社ではずっと経理部だったのですか?

いえ、その後に新規事業部に異動しました。ここでは飲食店舗の立ち上げをやりましたね。内装とか、保健所の手続きとかもすべて。名刺はなぜか経理部のままでしたが(笑)その2つの経験をして、この会社は2年ほどお世話になりました。

経理からエンジニアの道へ

― 転職されて、次も経理や店舗出店など既に経験のある分野にいかれたのですか?

いえ、これも全然違いました。当時「WEB2.0」と言われていた時代で、これからはIT企業が来るかなと思ってエンジニアになることにしました。それで、大企業の子会社で2年間エンジニアをやったんです。

― また全然違う職種ですね。それまでにエンジニアリングのご経験は?

学生時代にプログラミングをやっていたんです。今でも覚えているので、PHPとかなら書けますよ。

― すごいご経験ですね。2年間在籍されたとのことですがエンジニアとしてずっとやっていこうとは思わなかったのですか?今でもすごくニーズのある職種だと思うのですが。

そうですね。ただ仕事のペースがちょっと私と合わなかったのと、大企業の子会社にいたので歯車の一部になっているなと感じたところがあって。年功序列でもあったし、自分の将来が割と簡単にイメージ出来てしまえる環境だったので、このままここで定年までいるのかと思ったらおもしろくないかなと。それでまた転職を考えました。